ギャップ萌え

ひぐらしの漫画を読みながら、ふと浮かんだ単語。


ギャップに萌える、それがギャップ萌え。状況Aから状況Bに遷移した際の差分エネルギーとでも言うのか。

ひぐらしでは山深い集落での平穏な日常と一転急降下で訪れる惨劇とのギャップに萌え。

つまり、意外性。

つまりミスディレクションの巧みさ。ミステリー小説ならば必須項目。

それってカタルシス?ためてためて一気に感情を放出、みたいな。


伏線を仕込み、ミスディレクションで誘導、終盤に急加速で○△×。そこに萌え。


ほんのちょっとした言葉のやりとりが誤解を生み、その誤解の連鎖は肥大していく。人間不信、自己保身。狙われている、先に殺ってしまえば。他人の言葉が聞こえない、真実を知っているのは自分だけ。単独行動。


そして犠牲者が。報われない結末。そして次の○○編へ。


○○編、時間が戻っているようだ、さっきの編で死んでしまった人も登場している。何事もなかったように平穏な日々。
そしてまた形を変えて惨劇。次の△△編でも同様。まるで同じ時間をループしているかのよう。それともパラレルワールド


物語の構造を時間論的に分析しようにも、パラレルワールド的なのは個人的に苦手。。
どうしても話の筋は一次元の時間軸に束縛されている思い込みがあり扱いづらい。


さて、時間がループ、またはパラレルワールドと指摘したが、読者は気づいても、作品内の人物は分かるはずはない。


ところが、もし分かってしまったら?自分たちの世界で惨劇が起きているが、またリセットされて元に戻させるのだと気づいていたら?


プレイヤー(自分自身)とキャラクターの関係性が異なってくるのではないか。
一般には、プレイヤー(自分自信)がコントローラーを握って画面の中のキャラクターを動かす。やってるうちに「感情移入」することもあるだろうが、キャラクターが見えている、ゆえにそれは自分自身ではない、よってあくまでも操作の対象である、ではないか。さらに、キャラクターが死んだ場合、デッドエンドの場合、リセットしてやり直すわけだが、ここでプレイヤーとキャラクターに乖離が生じる。


プレイヤーにはデッドエンドを迎えてしまったという記憶が残るが、画面の中のキャラクターにはその記憶はない。


ですよね。


もし、画面の中のキャラクターが、バッドエンドの記憶もすべて持っているとしたら?
リスタート時に、こんなのいやだ、何が悪かったんだ、今度こそは、とつぶやきながら行動するキャラクター。
そこであなた、プレイヤーの行うべきことって?


そんな、ゲームとプレイヤーの関係性までメタレベルで包み込んでいる気配を感じるひぐらし
自分は原作はやっていないし、小説版も呼んでいない、漫画Only なので結末知らないのでこのくらいしか書けませんでした。漫画しか見てないとは言ってもネット上にはたくさんの情報があるわけである程度は目にしています。そういう状態での本エントリです。


参考本としては

解説読むとライトノベルとか読みたくなります。