監視と規制

本ブログでは.net、Adobe AirPowerShellなどアプリ開発系のエントリが多いですが、それ以上に興味があるのはそれらを取り巻く「情報社会」そしてその中で生きている人々に関してです。だからテクノロジの発展により人々の生活がどう変化するのか、など常に考えてしまいます。しかし悲しいかな、テクノロジの発展が「規制」「監視」の道具として使われることがよくあります。
これは2chで拾ったネタなので、自分で見つけたわけではない、ということで多少引け目があります。ですから内容に関しての解釈、判断は各個人にゆだねます。これ自体の解説は控えます。でも伝えたいというのは矛盾していますが。
http://www.boingboing.net/2007/07/12/seeing_yellow_call_y.html
SSよ、君たちはMIBか?
http://boingboing.net/2005/10/17/eff_cracks_hidden_sn.html
より具体的な解析内容。
最近、社保庁柏崎刈羽原発ミートホープ、中国の諸々、と立て続けに現前する現状に私の心には「不信感」「疑念」が芽生えます。信用できなくなる、というか、まだ何か隠してるんじゃないの?という心理状態になります。
隠しておいた方がいい、そんなものがあるのでしょうか。プライベートでは確かに無いと言えば嘘になるでしょう。隠し事のない人間なんてそうはいないでしょう。


年金の照合ができない、だから国民背番号制を導入してしっかり追跡できるようにしましょう。
子供が誘拐されるかもしれないという不安をお持ちですよね。大丈夫、携帯でGPS情報常に発信するようにできます。
せっかく作った曲が安易にコピーされるのは許されないですよね。大丈夫、DRMという技術を作りました。これでコピーできません。
せっかく作ったTV番組がコピーされるのは許されないですよね。大丈夫B-CASカードを入れないと見ることすらできなくしました。


これらは一見いいことに思える。平和な社会、安心して生活できる日常を実現させるのは必要に思える。
しかし何か引っかかるのだ。技術的にできてしまったからやりました、というのは特に。たぶん一般の人からみればそれを回避する手段が全くないからだと思う。
さらにたちの悪いのは、それ自体気づかせずにことが進行すること。


「監視」といえば思いつくのは、ミシェル・フーコーの「パノプティコン」の話。見られているかもしれない、監視されているかもしれない、という思いこみから囚人自ら自立的に更生するよう仕組まれた建築様式。これが近代社会の縮図だと見抜いたのはさすがだと思うが、もしかしたら今はそれを通り越して、自ら気づくことなしに誘導される、そしてトレース(追跡)される社会へと進んでいるのではないか、そんな危惧を抱くのである。
解決策や打開策は自分には分からない。ローレンス・レッシグあたりを読めばヒントはあるかもしれない。彼の本を読むと「自由」の大事さを気づかせてくれる。「自由」なんて声に出すのは恥ずかしいと思っていたがとても大事なものであると気づかせてくれる。



※読み返しても分かりづらいですね。。反省しています。疑問はコメントいただければ幸いです。